納得感が自分ごと
なにかをすっと受け入れて、自分事として捉えるには
なにかがどこかで決まって、経緯もわからず「コレ、決まったから。よろしくね!」と振られると、たとえ仕事であっても『なにそれ?聞いてないし』となりがち。
そういう仕事って、どこか『他人事』で、積極的に問題を解決したり、問題を未然に防いだり、出来ないと思う。
原因
「やらされ感」「他人事」感が出てしまう原因。。
- 「なにか」がどうやって発生したか、どういう経緯があって、そこに落ち着いたのか知る術が無い時
- 結論だけ伝えられて、どう取り扱って良いか理解出来ない時
具体例だと
- 突如トップダウンで決まるシステム導入
- 突如一部の人だけで決めた(または1人の独断で決めた)であろうコーディング規約
コーディング規約なんかだと、今までほとんど決まってなくて各人が好き勝手やってたような場で、いきなり「コレ完成版だから、みんな従って」と決められるような規約。。 みんなが守るわけないですな・・
弊害
自分事として認識出来ないことに由来する弊害
- やらされ感が強いので、出来るだけ無視しようとする
- 決まったことから逸脱するものは「聞いてない、規約に書いてない」などとやり玉に上がる
- そこで話し合いせずに、更にルールを勝手に追加すると、細かいルールばっかりでカオスになる
- カオスになると、守れない人続出で、結果亡き者になる
- 本来何か解決したい問題があって決めたことが、足かせとなって無駄な労力が発生する
対処法
- 決まる過程がわかると、大抵のことは受け入れられる
- 話し合いに参加していなかったとしても、議事録やチャットの履歴など、後から追えるものがどこかに残っているのであれば、納得できる
要は、「決まったこと」に影響を受ける人に対して、情報を公開する、が出来ていれば 大体は大丈夫なんじゃないかと。。
スムーズに受け入れてもらうために(事案提供側の心構え)
- 情報共有(見やすい、書きやすい場所)
- リアルタイムで参加できなくても、「ココ見ればわかる」は安心感
- できるだけ人々を巻き込む
スムーズに受け入れるために(事案振られ側の心構え)
- 「ココ見れば」があるなら、積極的に見る
- 「情報が公開されていること」を当たり前のもの、とアグラをかかない
- 書いてないから知らん!とエバらない
- 書いたり、情報を周知することに一定のコストがかかっていることを理解する
- 進んでコストを払い、共有を推進する人への感謝を忘れない
- 出来る範囲でそのコストを分担する(情報発信者側にまわる)
まとめ
すんごい当たり前のことばっかりだわ。。
あと、いろいろ雑談とかも話して、なんでも話しやすい雰囲気作りも大事かも、と思うけど・・ 雰囲気作りだけで、情報共有を推進する便利ツールが存在していないと、あまり意味が無い。。
雰囲気も大事だけど、情報共有に対する負荷が高かったり、せっかく書いてもみんながすぐ見れる状態いなってなくて、誰も見てない、とかだと意味ないし。
本業は別に有るので、便利ツールを導入して、そこらへんは効率化すると良いと思う。 情報共有を推進するツール、社内標準であると素晴らしいですね!
QiitaTeamとか、esaとか、仕事で使いたいな〜♪
Qiita:Team - みんなが手軽に書ける情報共有ツール
前々からちょっと気になってるんだけど、embedに展開できないURLってなにが違うんだろう;;
↑の2つのサイトリンク、差をつけたくないんだけど、esaの方しかembed表示できん・・ なぜなんだ・・ 気になる・・ 画像があるか、無いかの違い??
(記事の書いた日と公開した日が前後して、はてなブログにリンクを挿入するときのembedがなんで出てこないのか調べてみた - まりぴよこのブログが先に公開してしまった。。 ホントはこの記事の後に書いたんだけど ;;)